目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。
わたしの助けはどこから来るのか。
わたしの助けは来る
天地を造られた主のもとから。
どうか、主があなたを助けて
足がよろめかないようにし
まどろむことなく見守ってくださるように。
見よ、イスラエルを見守る方は
まどろむことなく、眠ることもない。
主はあなたを見守る方
あなたを覆う陰、あなたの右にいます方。
昼、太陽はあなたを撃つことがなく
夜、月もあなたを撃つことがない。
主がすべての災いを遠ざけて
あなたを見守り
あなたの魂を見守ってくださるように。
あなたの出で立つのも帰るのも
主が見守ってくださるように。
今も、そしてとこしえに。
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ギャラリーにも写真をアップしましたが、5月の3日4日と、続けて志賀高原に行って来ました。
美しく、そして壮大な山々からは、この詩編を思い出さずにはいられません。
私の教名(洗礼名)はヤコブ…
創世記に出て来るイサクとリベカの子、イスラエル12部族の祖ヤコブです。
神は、ヤコブと格闘した後、「イスラエル」の名をヤコブに与えました。
この詩を読むと思い出します。
神はいつも私を守ってくれていたと…
ヤコブは兄や父を騙し、また、神に喧嘩を吹っかけたにも係わらず、神はヤコブに祝福を与えた…
私の人生は、ある意味ヤコブの生涯と共通するものがあるのです。
「私の証し」にも書きましたが、正直言ってロクな人生を歩いてはいなかった私のような罪だらけの人間を、何故、神様は赦し救ったのか…
未だに答はわかりません。
しかしこのことからわかることは、神はどんな人をも救おうとし、そして救われるチャンスは誰にでもあるということです。
私が出来ることは、私の体験を通して1人でも多くの人に、神の存在を知る手伝いをすること…
それしかないと思っています。
そして何があっても、どんな困難にあたっても、この詩編121編を心に刻み生きていたいと思います。
そしてこの詩が、これを読む皆さんに宛てた神様のメッセージであることを、今夜はお伝えしたいと思います。
【補足(5月6日)】
今日、ヴァチカンのサイトを見ていたのですが、私がこの詩編を取り上げた前日…つまり4日…に、カトリック新教皇ベネディクト16世が詩編121の解説を行なったということでした。
しかも、これは前教皇が用意し、それを引き継いだとのこと…
私は聖公会ですから直接的な関係は無いのですが、偶然とは言え、とても不思議な気持ちがしました。
参考:ベネディクト16世の言葉から
『今週のカテケーシスにおける黙想は、詩編121番を取り上げましょう。これはいわゆる「都に上る歌」と呼ばれる詩編の一つです。かつての巡礼者たちがエルサレムの神殿に参詣する際に歌っていた詩編です。
詩編作者は「目を上げて」と歌い始め、神殿におけるイスラエルの神との出会いに備え、絶えずその民に目を配り、あらゆる悪から救ってくださるイスラエルの守り手、力強い支え手として主を呼び求めています。
神の摂理に対するこのように深い信頼の告白は、何世紀にもわたって教会の典礼の中と、その聖人たちの祈りの中に生き続けています。
主が私たちをあらゆる悪から守ってくださいますように。』
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