これは、1967年にトマス・ハリスという心理学者が書いた本の題名です。
彼はクリスチャンでもありました。
心理学上では交流分析といって、特に対人関係の分析に用いられているようです。
【I'm OK,you're OK.】自分も認め、相手をも認める。
すなわち《自分も大切な存在であり、相手も大切な存在》とすることです。
この形は対人関係で、最も成長した関係だと言われています。
しかし、そこまで行くには段階があると述べています。
@【I'm not OK,you're not OK.】
自分をも、相手に対しても認められないということです。
赤ちゃんなんか、いわばそうかも知れませんね。
お母さんのお腹の中という快適空間から世に出て、空腹感やウンチなどで強い不快感を覚えます。
泣いても周囲の人はなかなか意味を汲み取ってくれない事もしばしば。
だから、ある意味において赤ちゃんから見れば【I'm not OK,you're not OK】なのです。
子供は成長してくると、色々なことに興味を持ったり、遊びも覚えてきます。
危険なものを口に入れようとしたり、壁に落書きをしたり…
子供自身は満足そうにしています。
大人は怒ります。「何やってるの!いけません」
しかし子供には、最初は何故怒られるのかは理解出来ません。
大人への不満が生じます。
これが
A【I'm OK,you're not OK.】
自分自身のことは正しいと思ってるのに、相手を認められない(理解出来ない)ということですね。
人間と神との関係でもこれはあります。
「私はこれだけのことをしているのに、何故癒されないの?」
「私がこんなに祈っているのに、神様は何で言うことを聞いてくれないの?」
「私が○○をしたいのに、何故うまくいかないの?」
神様なんて…
信仰者であっても、こうなることは珍しくありません。
自分の思いが神の思いと食い違うことも少なくありません。
《今、楽をしたい。今、思った通りのことをしたい。今、解決したい》と私達はついつい思いますが、しかしそれが最も本人にとって良いとは言えないことも多々あるのです。
私達はそれを常に思っていなくてはならないと感じます。
そしてここからが大切なのです。
片方の【not】が取れたから、次にもう一方の【not】が取れる…と思ったら、ところが次はこうなります
B【I'm not OK,you're OK.】
相手より自分の方が劣っている…すなわち、劣等感です。
子供は成長するにつれ、競争社会の中でだんだんと他者と比較するようになります。勉強やスポーツ、容姿や身長や行動を他人と比較し
《自分は悪い存在だ、不必要な存在だ》
と思いつめることも少なくありません。
もちろん社会人でも、仕事のことでこのような劣等感から自分を不必要と感じる人は決して少なくはなく、それが自殺の増加にも繋がっている部分もあります。
今、社会で最も多いのはこの【I'm not OK,you're OK】かも知れません。
《自分は社会(学校・会社etc.)で要らない人間だから死んでもかまわない》
そう考えている人がなんと多いことか…
とても悲しいことです。
日本でも、毎年3万人以上の人が自ら命を絶っています。
そして、宗教において最も悪質なのは、この【I'm not OK】を利用し、不健全な信仰を育ててしまうことです。
過度な奉仕や献金の要求、教会や聖職者もしくは古い信徒への服従等がそうです。
「癒されないのは奉仕が足りないからだ」
「病気が治らないのは献金が少ないからだ」
「聖職者の言うことは神の言葉だから絶対に逆らうな。」
これらは、モルモン教やエホバの証人、統一協会、また、仏教系の新興宗教ではよく聞く話ですが、実は正統なキリスト教と認知されている教会の中でも現実にあり得ることなのです。
これは、【you're OK】の対象が、【組織】であり【人間】なのです。
本来は神でなければならないのに…
神は私達人間を何と言っているでしょうか?
【わたしの目には、あなたは価高く、貴く】イザヤ書43:4
このように神様は私達を【you're OK】としているのです。
ましてや私達は神の姿に似せて創られたのです。
つまり私達は【I'm OK】なのです。
神と人間の関係が【I'm OK,you're OK】であるならば、人間と人間の関係もまた【I'm OK, you're OK】であり、全てがそれに満たされた時には、争いもカルトも自殺も無くなっていくのではと思います。
これに関しては、沢山思っていることがあり、少しまとまりの無い文章になってしまったかも知れません。
しばらくぶりの記事でしたが、これからまた色々と書き続けていきたいと思います。
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