この題は、1月10日付けの朝日新聞に掲載された記事の題です。
非常に興味深く読ませていただきました。
以下、全文を掲載します。
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石畳の細い坂道をたどる。穏やかな丘陵地から山道に差しかかると、眼下に収穫後のブドウ畑が広がった。ローマから電車とバスで約3時間。キア村は、郵便局と食堂が1件しかない、人口約4000人の村だった。
1本先に古いカトリック教会がある。ここの神父だったジュゼッペ・セローネさん(44)は、教会の隣の家でアルバニア人のイスラム教徒アルバナさん(30)と隠れるように暮らしていた。
2人は02年2月に結婚。「だれにも祝福されない、孤独な日々の始まりでした」。吐く息が白くなる寒い部屋で、オーバーを着たまま話すアルバナさんの大きな瞳から涙がこぼれた。
流れたうわさ
出会いは99年の秋だった。政変や暴動で混乱するアルバニアから逃れてきた避難民のため、教会がパーティーを開いた。その手伝いを申し出たのが避難民の1人アルバナさんだった。
その後、アルバナさんはイタリア滞在許可証の取得に必要な書類をそろえるため母国に帰国。ジュゼッペさんも同行した。しかし、この時はすでに村人の間で「神父さんと民間女性の恋」のうわさが流れていた。
イタリアテレビの尋ね人番組が「恋の逃避行か?」とおもしろおかしく取り上げ、疑念に拍車がかかった。
上司にあたる司教はジュゼッペさんに「1年間コソボにでも行って頭を冷やせ」と勧めた。それが逆に結婚の意志を固めさせた。
ローマ・カトリックの聖職者には独身が義務付けられている。結婚した神父の多くは破門扱いとなり、ひっそりと教会を去る。バチカン裁判所などで複雑な手続きを経ると正式に聖職者の義務から外れることができるが、法王が認めない限り独身の義務は免除されない。
「結婚しても神への忠義心は同じ」と考えたジュゼッペさんは、当時のローマ法王ヨハネ・パウロU世へ手紙を書いた。
「神がたたえる家族をつくるため世俗へ戻りたい。私は裏切り者ではありません」。8ヵ月後「認める」という返信が届き、壁は開かれたかのように見えた。
しかし村人の目はバチカンより厳しかった。アルバナさんは村人から「魔女」と呼ばれ、石を投げられた。夜中にドアをたたかれ、車に汚物を塗られた。イスラム教徒とはいえ、ギリシャ正教徒の母を持つアルバナさんは、宗教にさほどこだわらない。しかしそうした説明に村人らは耳を貸そうとしなかった。
いま、ジュゼッペさんに職はない。アルバナさんは近くの町で清掃のアルバイトをしている。
元神父の集い
カトリック信者が9割を超えるイタリアで、バチカンの倫理観は人々の意識に根付いている。定めに反した神父と、教え以外は受け入れない人々。間にある壁は厚い。
ただ、結婚を希望する神父らの声は年々高まっている。結婚で教会を去ったイタリア人神父はこの20年間で8千〜1万人といわれる。神父不足が深刻な米国では、神父に結婚を認めよとの要求が強い。
ローマ南部の小さな集会所で毎日曜の朝、神父が説教する代わりに各自が自由に意見を述べる、少し変わった「ミサ」が催される。中心になっているのは、結婚して教会を去った元神父たちだ。
自らも妻帯者である元高位聖職者のジョバンニ・フランツォーニさん(77)が言う。
「この壁の影には差別意識や偏見がある。壁を壊すため、私達はもっと話し合わなければなりません」
【朝日新聞1月10日朝刊「そこにある壁」シリーズから掲載】
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いかがでしょうか?
この記事に関しては、私は非常に深く考えさせられました。
あえて今回は意見を控えます。
果たして皆様は、何をどのように感じるでしょうか…
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