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神様、ありがとう(2006.11.12の日記) |
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あれはおととしの12月。 神様、あなたは1人の迷い子を私の携帯サイトに導いてくれましたね。
その迷い子は大きな、そして沢山の罪を自ら背負って、 その重さに苦しんでいました。
神様の存在は信じていても あなたに身を委ねることができず、 迷い子はその苦しみを いつも私にぶつけてきました。
迷い子は、神様や教会を嫌いでしかたない時もありました。
慰めた時もありました。 叱った時もありました。 じっくりと教えた時もありました。
私はあまりにも不完全ですから 神様、あなたの望み通りに迷い子を導くことは出来なかったかも知れません。
しかし神様、あなたは決してその迷い子を見放すことなく 私の不完全さを補い、 多くの働きかけを迷い子になさってくださいました。
あんなに教会が苦手だった迷い子は いつしか教会に行くのが日課になっていました。
そして何より、素晴らしい神父さんに引き合わせてくださいました。
正直、きっと、神父さんも手を焼きそうになったこともあると思います。 しかし私は、H神父さんだったからこそ、 こうして迷い子は洗礼志願まで来れたのだと思います。
教会の中には変な信徒さんもいたようですが 神様はちゃんと、良き信徒さんも与えてくださいましたね。
色んな人々を通して、あなたは暖かく迷い子を支え 育て、守って導いてくださいました。
神様が私に命じたことは 迷い子から何を言われても 「それでも神は、あなたを愛している」 それを言い続けることでした。
神様… 苦しみの中に居たその人は もう迷い子ではありません。
まだ洗礼は受けていませんが、すでにあなたの子です。 私達の大切な家族です。
【ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。】マタイ 18:12
神様、あなたは見事に、この御言葉を実践なさってくださいましたね。
日が変わって今日この主日、その人の洗礼志願式があります。
どうか神様、 これからもあなたが探した一匹の羊を ずっとずっと守っていてください。
所属教会(カトリック)の方々、 そして我慢強くここまで助けてくださった神父さんの上にも 豊かな恵みをどうかお与えください。
主イエス・キリストの御名によって 心から感謝のお祈りをいたします。
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2006年11月12日 05:50 |
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おめでとうございます。 迷いの時を経て成長した信仰の姿を感じます。 新たなる人生の門出に、心から祝福を申し上げます。
「信仰」はこれからずっと続く、神様との二人三脚です。 どうか、これからも豊かな恩寵が みなさまの上にありますように。 | |
2006年11月12日 14:05 |
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私も3年迷いました。でも結局天国の切符をくれました、イエス様に。 | |
2006年11月12日 23:41 |
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一つの尊い魂が救われたことに心から賛美致します。今朝私は朝起きて自分が主を知る前の事を思いました。どうやってあの頃生きていたのか不思議になりました。自分が渇いているのに気が付かないくらい渇いていました。私達は主の内にいる限り渇くことはもうありません。全ての水は主からきます。本当に感謝です。 | |
2006年11月13日 06:23 |
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主に導かれて、この所に来させて頂きました。 およそ三年半ほど前に教会で人の言葉に躓いて、教会も神様からも背を向けた生活を送ってました。 死ぬことばかり考えたこともありました。でも、死にきれなかったのです。 死んでも地獄、生きていても地獄のような生活でした。17歳の時に受洗してたのですが、救われたという確信がなかったんです。 昨年の11月頃に、ふとしたきっけで「神様のリンク」に導かれました。その中の証を通して随分と回復していきましたが、直ぐには教会に戻れませんでした。 それから色んなキリスト者のブログやホムペに導かれて、回復しました。 今年の一月の初旬のある朝に、『おまえを捨て置かない』という言葉を与えられて、体中がポカポカと暖かくなり神様に感謝をしました。 その日を境にして教会に戻ることが出来ました。
ありがとうと言おうと思いサイトに行ったのですが、連絡する統べもなく残念に思ってました。 主なる神様は時をとても重要にされる御方なので、一番いい時に、ここに導かれました。
マルセリーノさん、「神様のリンク」を立ててくれてありがとう。 マルセリーノさんを救って頂き、「神様のリンク」を立てるように導かれた、神様、ありがとうございます。
長くなってしまい、申し訳ございませんでした。
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2006年11月13日 21:26 |
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本当におめでとうございます。 その方が変わってゆくご様子を、断片的にではありますが、ネットを通して見てきました。
いつも私が思うのは、まるさんのその親身さ懸命さはどこから沸いてくるのだろうという驚きです。 前からずっとそのことをお伝えしたかった。 あきらめない信仰・・ 私はいつも誰の心にも届きませんが、まるさんの真剣さに出会って考えさせられました。
どうかその方のこれからの歩みが、希望に満ちたものとなりますように・・お祈り申し上げます・・。
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2006年11月13日 23:19 |
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>>ひむかさん
迷いの時は、神が人間を霊的に成長させてくださる必要な時だと感じます。 クリスチャンになる前、そしてなった後も、迷いの時はありますね。 真理を求めているからこそ、迷いも悩みも生じるのかも。 信仰書を読んでも、書かれた方々も皆、私たちと同じように 迷ったり悩んだりしていたようです。 これからもそうしながら、道を求めていきたいと思います。
>>イクスーシアさん
私もイエス・キリストの名を初めて聞いてから40年、 聖書を初めて読んだ時から33年の月日が経ちました。 しかしながら、洗礼を受けたのは3年前です。
反クリスチャンだった時代、 信仰ではなく知識として捉えていた時代。 私は迷路の中にいたのかも知れません。 きっと神様は、そんな私を見るに見かねて、救い出してくださったのでしょうねえ…
>>kazueさん
渇いていた… 私もそうだったかも知れません。 今より体は太っていましたが、 心の中は干からびたミイラのようなものだった… そんな気がします。 砂漠の中をさまよい歩き続けていたのかも知れません。 神はそこに、永遠のオアシスを与えてくださったのでしょうね。 あなたにも、私にも、皆さんにも…
一方的な恵みに感謝
>>いとぴょんさん
初めまして
私のサイトを見ていてくださっていたのですね。 それも去年の11月からとは…
忙しかったり、体調が思わしくない時もあり あまり更新できずに、管理人としてお恥ずかしい限りです。
ネットには、神も悪魔も宿ります。 そんな中で、いとぴょんさんには神が働きかけてくださったのでしょうねえ。
でもこうして、mixiという場で改めてお会いできたのも、私としても嬉しい限りです。 教会に戻れたこと、本当に良かったですね。 放蕩息子の例えのごとく、離れても背いても 神は暖かくいとぴょんさんを迎えてくださった…
素晴らしい恵みです。 良いお話を聞かせていただきました。
こちらこそ、ありがとう。
>>minxさん
掲示板では確かに断片的ですよね。 しかし、メールや電話では、その人からは一時期ものすごい攻撃にあったことも実はあるんですよ。 去年の春のことでした…
もし私個人がやりとりをしていたなら、本来の私の性格は超短気なので、その時点で終わっていたかも知れません。 しかし、神はその人を救いたかったのです。 神の介入なしには、私は何も出来なかったかも知れません。
>まるさんのその親身さ懸命さはどこから沸いてくるのだろう
一切の謙遜抜きで、私は自己中心的であり、他人のことなど考える人間ではないのです。 ですから、神が私の肉体を利用(言葉は変かも知れませんが)して、その人に働きかけていたのであって、決して私の内からでは無いのだと思います。 しかし私は、神に完全敗北した人間です。 もうそうなると、お任せする以外にないのです。 私の信仰も、私の内から発するものではなく 太陽の光に反射する月のようで 神から出て神に返すものではなかろうかと思っています。 神に返す道筋の中に、神はどなたかを置いてくださり、 つまりその方々は、私ではなく神から発するものに影響されているだけなのです。 クリスチャン的に言えば「聖霊の働き」とでも言いましょうか…
そして同時に、私もまた、その方々を通して神に働きかけられているのだと感じます。
つまり、私が人々に何かしてるのではなく、人々が私を生かし、成長させてくださっているのだと思っています。 ですから、私の方こそ皆様に感謝せねばならないのです。 もちろん、あなたにもね。
そうだ、あんちゃんにも、マルが会いたがっていたとお伝えください。 男同士、かみさん(神さんではなく…笑)についての愚痴でも言い合いましょう〜と(=∩_∩=)
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