『主の祈り』はイエス様がご自分で教えられた祈りです。 この祈りを唱える時は、子供としての気持をもって、神様をお父さんとして呼びかけます。 イエス様がこの祈りを教えられた時、アラム語で幼い子供が使う言葉(アッバ)をお使いになりました。 例えて言えば「パパ」という言葉の感じがします。 つまり、私たちは自分の弱さを認めて、小さな子供のように謙虚な気持で祈るべきだと、イエス様は教えられたのです。
また、この祈りを教えられた時に、イエス様は「わたしの父よ」ではなく、「わたしたちの父よ」と神様に呼びかけるようにお勧めになりました。 つまり、神様が自分だけのお父様でなく、すべての人々のお父様であることを認識して、自分のためだけでなく、神様の子供であり、自分の兄弟である、すべての人々のために祈るように教えられました。
それからイエス様は、どのようなことを頼むべきかを教えられました。 初めは霊的な恵みばかり述べられています。まず第一に「み名が尊まれますように」と祈りなさい、とおっしゃいました。これはすべての人々が神様を信じ、神様を愛して、人生のすべてを神様に捧げることを意味します。
二番目の願いは、一番目のものと似ています。「み国が来ますように」という願いです。 神様のみ国は霊的な国で、平和の国、愛と喜びに満ちた国です。 この霊的な国は世の終わりに天国で完成されますが、今の世の中にも存在しています。 信仰と愛によって神様と結ばれている人々は、既に神様のみ国の国民になっているからです。 「主の祈り」を唱える時は、すべての人々がこの国に入って幸せになるようにお祈りします。
イエス様が教えられたた三番目の願いは、「みこころが天に行われるとおり、地にも行なわれますように」ということです。 天国が平和で幸せなところであるのは、天国に入っているすべての人々が完全に神様のみ旨にかなって、お互いに心から愛し合っているからです。 この世の中のすべての人々が同じように、いつも神様のみ旨にかなって、お互いに愛し合っていくならば、今の世界は天国のように平和と幸せに満ちたところになるはずです。 ですから、イエス様は、「みこころが天に行なわれるとおり、地にも行なわれますように」と祈りなさいとおっしゃったのであります。
そのあとで日常生活に必要なものを頼むように、イエス様はお勧めになり、「日ごとの糧を与えてください」という願いを教えられました。この祈りの中の「糧」は、食べ物だけでなく、人間らしい生活を送るために必要なものを、すべて含んでいます。 この願いを唱える時に、具体的なことを言う必要はないと、イエス様はお教えになりました。 なぜなら、神様は私たちに必要なものを全部ご存じだからです。 また、贅沢なものでなく、幸せな生活を送るために、毎日必要なものだけを願うようにとイエス様は教えられました。 ですから「ごと日の糧を与えてください」と教えられたのです。
『主の祈り』の最後の言葉としてイエス様は次の言葉を教えられました。 「わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。わたしたちを誘惑におちいらせず、悪から救いください」 本当の幸せを経験し、永遠の救いを得るためには、罪のけがれから清められることが、なによりも大切ですから、罪のゆるしと、これから罪を犯さないために必要な御助けを祈るのは当然です。
ところが、イエス様が教えられたように、『主の祈り』を唱える時には、罪のゆるしを願うと同時に、人の罪をゆるすことも約束します。 イエス様が、「もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。」とおっしゃったからです。
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