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いろいろな出来事や人物を通して、神様と私たちの関係を書いています。
初心者にはもちろん、すでにクリスチャンとなられた人にも、面白いお話があるかも知れませんね。
共におられるイエス様 |
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最近、ある本で読んだ話です。ジムという名の老紳士が、毎日昼の十二時になると教会にやって来ては、ほんの数分、会堂にいたかと思うとすぐ出て行ってしまいます。教会の管理人は、そのうちに教会の大切な備品がなくなりはしないかと心配して見守っていましたが、何もなくなりませんでした。それでも不思議に思った管理人はある日、その老紳士に声をかけてみました。
「今日は。ところであなたは、毎日ここへ何をしにいらっしゃるのですか。」 老紳士は丁寧に答えました。 「祈るために来ております。」 しかし、その答えでは管理人は納得せず、再び尋ねました。 「でも、祈るためにしてはちょっと短すぎませんか。現れたかと思うと、すぐ帰ってしまうのではありませんか。」 老人はまた答えました。 「私には十分なのです。毎日、私はここに来てこう祈るのです。『イエス様。ジムでございます』と言って、しばらくお話しするのです。それからすぐ帰るんですよ。」
ジムはそれからしばらくして、交通事故に遭い、足を骨折して入院しました。ジムが入院した病院というのは、怒りっぽい患者が多く、四六時中、不平不満ばかりがこだまするような病院で、そこで働く看護婦さんたちにとっては、実に厄介な所でした。 ところが、ジムが入院してから、病院の雰囲気が一変しました。不平もなくなり、楽しそうな笑い声が聞こえるようになったのです。不思議に思った看護婦は皆に尋ねました。
「何がそんなに嬉しいの。」 患者たちが口を揃えて言いました。 「それは、ジムおじさんのおかげですよ。足は痛むし、不自由なのに、いつも嬉しそうだし、決して文句を言わないからね。」
看護婦さんがジムのベッドのところへ行くと、ジムは幸せそうな顔を浮かべて横になっていました。 「ジム。この人たちはあなたのおかげで、この病院が変わったと言っているけれど、いつも幸せそうにしていられるのは、どうしてですか。」 ジムは即座に答えました。 「それは、私の訪問者のおかげなのですよ。」
看護婦さんは驚きました。というのは、それまで誰もジムを見舞いに来た人は一人もいなかったからです。面会時間の時、ジムのベッドのそばにある椅子はいつも空いているのです。看護婦さんはまた聞きました。 「いつ、どなたがあなたを訪ねて来るのですか。」 ジムは目を輝かせながら答えました。 「毎日12時になるとその方はここに来て、ベッドのそばに立ってくださるのです。そしてその方は私を見つめて、こうおっしゃるのです。『ジム。イエスだよ』ってね。」
クリスチャンの信仰生活の根本にある真理は、イエス・キリストがいつも、共にいてくださるということです。聖書の中で、キリストはこうおっしゃっています。
「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」 (マタイ28・20)
この約束をしっかりと受け止めるクリスチャンは、キリストの力によって強められながら、どのような困難な状況にも立ち向かうことができるのです。何という祝福された人生でしょうか。
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