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いろいろな出来事や人物を通して、神様と私たちの関係を書いています。
初心者にはもちろん、すでにクリスチャンとなられた人にも、面白いお話があるかも知れませんね。
汝の敵を愛せよ |
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ノルウェーという国はご存知でしょうか。 多くの天然資源に恵まれたノルウェーは、とても裕福な国です。また、同時に、世界の貧しい国々を援助しています。クリスチャンになっている、1人の国会議員が、会議の参加者に向かって、こんな発言をしました。
「神が我々に多くのものを与えてくださった。だから、我々も、その恵みを世界の人々に分けなければならない。」
ノルウェーは更に、多数の宣教師を世界に送り出している国として有名です。 長年、満州で医療奉仕を行いながら伝道しておられた93歳の婦人がいます。 戦争が勃発して、危険な状況になってもなお、活動を続けたといいます。 とうとう、1943年に日本兵に捕まって、投獄されましたが、戦後、ノルウェー政府から、慰労金(約180万円)が支給されることになりました。 初めは、「そんなお金は要らない」と、受け取ることを堅く拒否していましたが、家族に説得されて、慰労金の申請をしました。ところが、そのお金を受け取るや否や、日本で活躍している福祉団体のために献金した、というのです。この婦人は戦時中、多くの苦しい体験をしたはずなのに、敵国だった日本のために大金を捧げた。実に驚くべき行動ですが、これこそイエス・キリストのみことばの実践なのです。
「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。」 (マタイ5:43-45)
「自分の敵を愛せよ」とは、キリストが語られた言葉の中で、最も有名な言葉の一つと言えましょう。また、いちばん実践不可能な言葉だとも考えられています。確かに、人間の常識に反する発想でしょうが、ここに聖書の福音の真髄とも言うべきものがあります。つまり、敵を愛する愛というのは、まず、神が人類に対して示してくださったものです。
「しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。」 (ローマ5:8-10)
創造主なる神に背を向け、自分勝手な道を歩んでいた私たちは、まさに神の敵でした。しかし、そのような私たちを、神はなおも愛してくださり、イエス・キリストの十字架によって救いの備えをしてくださいました。この事実を受け入れて、神の大きな愛を体験する時に、私たちも自分の敵の存在に対して、違った見方ができるようになります。
あなたは、自分のライバルのために神の祝福を祈ることができますか。
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