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キリスト教の教えは、聖書の教えそのものです。
罪とは…
救いとは…
クリスチャンとは…
教会とは…
祈りとは…
そのような疑問に、1つ1つ聖書から答えています。
1歩踏み込んでキリスト教の教えについて知りたい人には、とても参考になると思います。
あなたに人生の意味の答が、もしかしたらここにあるかも知れません。
15 地獄 |
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聖書は、すべての人類の最後の審判のとき、苦痛の場所がもう一つあるといいます。それは「火の池」と呼ばれています。最後の審判のとき、地獄へ行った魂は墓からよみがえったからだと結びつくのです。そのときキリストは、邪悪な死人たちに最後の審判を下し、神を信じなかった人々が行く永遠の場所である火の池に、彼らを投げ込むのです。黙示録20:11−15
そういう意味で、地獄は、この世の刑務所のようなものです。囚人が判決を受けるまで一時的に待つところなのです。彼らは、最終判決の裁判のために、刑務所から引き出されるのです。 黙示録20:9-15は、キリストを拒んでサタンに従ったすべての人々とサタンを裁く、最後の審判の記録です。火の池は、終身刑を受けた人々が入れられる牢獄にたとえられます。地獄を表現するのに、主は「蛆が尽きることも、火が消えることもない」と描写しています。 マルコ9:43-48 そこは、罰を自覚できる場所であり、実際に火が燃えている場所です。それが、罪に対する永遠の罰なのです。
黙示録における「世々限りなく」という語句は、捨てられた者の悲惨さを表現しています。黙示録14:11 愛の神様が、人を地獄へ行かせるのでしょうか。
A.神様は、人を滅ぼしたくありません。 1人1人が地球という惑星で生きている間に、天国であれ、地獄であれ、自分の個人的な選択として決断するものです。神様は、その一人子をカルバリーの十字架につけて、人を救うようになさいました。 ローマ5:6-8人がもし救い主を拒めば、その人たちは自分の選択によって地獄に行くのです。ある人が言ったように、神様は罪人をとても愛しておられるので、人が天国よりも地獄へ行くのを選ぶなら、そうさせるのです。彼らがそうするのは、すべて自分の意志によるのです。
B.神様は愛の神様 1ヨハネ4:8 ですが、同時に聖なる方 1ペトロ(ペテロ)1:16でもあります。罪を罰する方なのです。 もし罪が天国に入ってしまったなら、神様が人類を救うためになさったすべての計画を壊してしまうでしょう。サタンは、エデンの園で罪を選択しました。人は、その生涯の間にどちらかを選ばなければなりません。人の永遠の運命は、死ぬときに定められます。 煉獄(れんごく・天国に行く前にとどまる所)や中間的な場所はありません。聖書は、ただ2つの場所があるだけだと明言します。「こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのです。」 マタイ25:46
C.人は、迷わずに病人を病院に入れ、犯罪者を牢獄に入れ、死体を墓に入れます。これは、人に愛がないからそうするのではありません。福音をまったく聞いたこともない異教の人々は、どうなるのでしょう。ほかの人々のように、異教徒も滅びゆく罪人ですから、キリストだけが救うことができるのです。彼らも創造されたものを見たり、 ローマ1:20, 詩篇19:1 自分の良心を通して、 ローマ2:15 神様は存在するということがわかります。もし彼らがイエス様に向かって生きるなら、神様はさらに光をくださることでしょう。使徒の働き(使徒言行録)10章と11章のコルネリウスを見てください。
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