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キリスト教の教えは、聖書の教えそのものです。
罪とは…
救いとは…
クリスチャンとは…
教会とは…
祈りとは…
そのような疑問に、1つ1つ聖書から答えています。
1歩踏み込んでキリスト教の教えについて知りたい人には、とても参考になると思います。
あなたに人生の意味の答が、もしかしたらここにあるかも知れません。
11 救いの真理 |
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信仰の重要性を理解しないで、聖書を勉強し続けることはできません。「罪人は、信仰なしでは救われないからです。」エフェソ2:8-9 「福音は、…信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。です。福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。」ローマ1:16-17 ですから、信仰がどんな意味を持っているかを知ることは、重要なのです。
T.信仰とは何ですか。 信仰は、知識と信じることと信頼の3つから成り立っています。信仰は、個人的な確信なのです。私たちは、日常会話の中で、次のように使います。「私は、お医者さんを本当に信じています。」それは、自分が、お医者さんを信頼しているという意味です。同じように、聖書においても、信仰は神様を個人的に確信することなのです。神様の言うことを信じ、私たちを救って導いてくださると信頼することなのです。
U.どこで信仰を見出しますか。
世界中を見回すと、神様を信じないために、救われていない人がいます。だから、私たちは信仰の本質について調べるのです。ある意味でこの信仰とは、神様からの賜物なのです。 ヨハネ3:27 神様は、神様を信じる力を人に与えてくださいます。
しかし、人はどうやって信仰を受け取るのでしょう。この答は、ローマ10:17 です。「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まります。」 ですから、神様を信じていない人は、聖書を読まなければなりません。読み進みながら、次のように祈るべきです。「神様、もしこの本があなたの言葉なら、もしイエス・キリストがあなたの息子なら、もし彼が私のために死んでくれたのなら、私が聖書を読み進むときにそれらを示してください。」誰でも神様の御心を行おうと願う人なら、真理の知識に到達するでしょう。 ヨハネ7:17
V.信仰の本当の対象は何ですか。
信仰には、信じる対象があります。それは、親戚や友人のような人間だったり、飛行機やエレベーターのように生命のない物であるかもしれません。しかし、そういう信仰だけでは、不十分です。信仰とは、信じるに値する対象でなくてはなりません。 飛行機は、ある町からある町まであなたを運んでくれる、と信じることができます。飛行機は飛ぶものだ、と信じることもできます。パイロットは飛行機の操縦を知っていて、あなたを行きたいところへ連れて行くと信じることもできます。飛行機で旅行するのは楽しいものだ、と信じることもできます。あなたのすることといえば、飛行機の座席を確保することぐらいです。それが、飛行機に対する信仰なのです。 あなたは、そう信じていることをほかの人に話したとしましょう。しかし、飛行機に乗り込むまでは、その信仰を確かめたことにはなりません。本当の信仰は、行動を伴うからです。聖書は、「信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。」 ヤコブ2:17-18
聖書は、イエス・キリストを信仰の真の対象としています。 使徒20:21 大切なことは、どれくらいの信仰を持っているかとか、どんな種類の信仰を持っているかで救いが決まるのではありません。信仰の対象がイエス・キリストであるかどうかにかかっているのです。 聖人・処女マリア・偶像・教会・宗教・良い行ない・バプテスマなどを信じる対象にしているなら、聖書の救いはありえないと聖書は明言します。ところが、キリストについて聖書が教えるすべてのことを信じたからといって、キリストを信じたことにはなりません。 ある電車が駅を午前11時に発車して、午後5時に遠くの町に到着すると信じることはできます。電車に関するすべての事実を信じることはできますが、あなたが電車に乗り込んで、目的地まで連れて行ってくれる電車を信頼しなければ、電車を本当に信じたことにはならないのです。
同じように、キリストがベツレヘムで処女から生まれ、カルバリー山で死に、よみがえり、天に上げられたことを信じることはできます。聖書が神様の言葉だと信じることもできます。しかし、キリストがあなたの罪を赦し、あなたを天に連れて行ってくださると信じなければ、本当の意味で信じたことにはならないのです。
W.信仰の事
聖書には、信仰の具体例がたくさんあります。ヘブライ人への手紙11章は、信仰を持った何人かの有名な男女が列挙してあるので、「信仰の名誉一覧表」と呼ばれてきました。
そのほかに、2つの例が引用されています。1つは、マタイ8:5-10に出てくる百人隊長の信仰です。百人隊長は、キリストの言葉だけで部下を治せると信じました。 もう一つは、マタイ15:22-28に出てくるカナンの女の信仰です。彼女は、選民のユダヤ人たちに取ってあったパンを、異邦人の自分にもくれるように懇願したのです。彼女の信仰は謙遜で、いちずでした。
X.信仰の報酬 本当の信仰は、決して無報酬ではありません。意味もなく神様を信じてきた人は、今まで誰もいなかったのです。信仰が、知識と信じることと信頼の3つから成り立っいることを思い出してください。罪を悔い改め、主イエス・キリストを救い主と信じた罪人は、誰でも救われるのです。救い主は言われました。「わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない。」 ヨハネ6:37
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