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キリスト教の教えは、聖書の教えそのものです。
罪とは…
救いとは…
クリスチャンとは…
教会とは…
祈りとは…
そのような疑問に、1つ1つ聖書から答えています。
1歩踏み込んでキリスト教の教えについて知りたい人には、とても参考になると思います。
あなたに人生の意味の答が、もしかしたらここにあるかも知れません。
9 救いのための悔い改め |
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T.改革とは違います。
悔い改めとは、完全に心の中で起こるできごとです。多くの人にとって、それは自分の罪から遠ざかることを意味していますが、これは単なる変革であって、聖書の悔い改めとは違います。また、ざんげとは、何かをすることではありません。人が自分の罪から離れたとしても、まだクリスチャンではないのです。
U.ざんげとは違います。
ざんげとは、罪を悲しむ行為です。いろいろな宗教で、多くの人々がざんげと呼ばれることをたくさんします。犠牲をささげたり、苦行をしたり、指導者に祈ってもらうためにお金をささげたり、自分自身で長い間祈ったり、連鎖祈祷を繰り返したり、ざんげ室に入って自分の罪を告白したり、宗教的儀式に参加したり、それらすべては自分の罪を取り除くことを願ってするもです。
V.後悔とは違います。
悔い改めは、罪を悲しんで許しを請う感情ではないことを確認しました。牢獄にいる多くの人々は、自分のしたことを悲しみますが、その犯罪を消し去ることはできません。本当の悔い改めは、罪に対する悲しみをまちがいなく含んではいますが、罪に対する悲しみは悔い改めではなく、悔い改めに導くものにすぎないのです。「 神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。」 2コリント人7:10
W.意見の変化ではなく、心の変化です。
本当の悔い改めとは、心の変化であり、行ないを変えるものです。しかし、心を変えないでも、行ないを変えることができることも覚えておきましょう。マタイ21:28-29は、そのよい例です。人が救われる前には、罪や自我や神やイエス・キリストに対する心を変えるに違いありません。事実、悔い改めとは、神様と反対側に立っていた「古い自分」が神様の側に身を置くことなのです。 X.神様の働きです。
悔い改めとは、罪の重荷のために救い主が必要であるということを、神様が私たちに深く認識させてくださることです。そして、その認識を通して、神様が私たちの良心に働きかけてくださり、救いを選択しなければならないと私たちが決断するのです。神様に従うか、あるいは今まで通りの道を進むかの決断をします。方向を変えるためには、悔い改めて、救ってくださいと呼び求めるのです。この決断の結果、心が変えられ、私たちと神様の関係が変わります。4つの変化によって、悔い改めが明らかになるのです。知的な変化、感情の変化、意志の変化、そして行動の変化です。
人生を迷ったりとまどったりして過ごしている人は、本当の悔い改めを求めています。そういったときに、注意を引くものに、急に出会うのです。神様の言葉を聴くとき、その人は立ち止まり、自分が間違った道を進んでいることに気づきます。このまま進むか、向きを変えるか、今どちらかを選ばなければなりません。悔い改めとは、向きを変えて、反対方向に進むことです。神様の道を進む決断をすることなのです。
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