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キリスト教の教えは、聖書の教えそのものです。
罪とは…
救いとは…
クリスチャンとは…
教会とは…
祈りとは…
そのような疑問に、1つ1つ聖書から答えています。
1歩踏み込んでキリスト教の教えについて知りたい人には、とても参考になると思います。
あなたに人生の意味の答が、もしかしたらここにあるかも知れません。
1 聖書 |
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T.はじめに
ある人は、聖書のことを「神様の知恵の宝庫」と呼びました。実にそうです。私たちは、聖書と言うと、一冊の本と思いがちですが、実は66巻にわかれてできあがっています。創世記で始まり黙示録で終わる聖書の66巻は、大きく二つにわかれているのです。 最初の部分は旧約聖書と呼ばれ、39巻(※)から成っています。後半の部分は新約聖書と呼ばれ、27巻から成っています。どんな種類の聖書でも、最初にそれぞれの巻の索引があり、ページが記された目次があります。 (※カトリックでは旧約聖書外典から7巻を第二正典として加え、旧約聖書を46巻としています)
U.だれが、聖書を書いたのでしょうか。
人間的に考えると、聖書は歴史的な本と言えます。少なくとも36人の著者によって、約1600年の間に書かれました。しかしこの人々が、神様に直接啓示されて書いたということを、心にとめることが重要です。つまり、聖書は、神様の霊感によって書かれた本なのです。神様は、聖書のことば一つ一つを書くことにおいて、それぞれの著者を導きました。霊感によって書かれたというのは、そういう意味です。次の聖句は、聖書が神様の霊感によって書かれたことを、明らかに示しています。 「なぜなら、預言は、決して人間の意志に基づいて語られたのではなく、人々が聖霊に導かれて神様からのことばを語ったものだからです。」(2ペテロ1:21) 聖書はすべて神様の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。こうして、神様に仕える人は、どのような善い業をも行うことができるように、十分に整えられるのです。」2テモテ3:16-17 したがって、聖書は神様の御言葉(みことば)そのものなのです。ある人は、聖書の中に神様のことばが入っている個所があると言います。そういう言い方は、聖書のある部分は神様の霊感によりますが、ある部分は神様の霊感によらないということを、暗にほのめかしています。 霊感によるものと、そうでないものとを、誰が区別することができるでしょうか。 長年の研究調査の結果、聖書には、人間的な解釈がなされていないと言うことがわかります。その確信は、人間的な判断によるのではありません。 詩篇119:89が述べています。「主よ、とこしえに、みことばは天に確立しています。」 もう一つ心にとめる大切なことは、聖書は、神様が人間に送ってくださった唯一の啓示だということです。したがって、私たちがかってにことばを付け加えたり、取り除いたりしないようにと、神様は聖書の中で三回注意しています。最後の警告が、黙示録22:18-19に書かれてあります。
V.聖書の主題は、何でしょうか。
聖書は66巻で成り立っていますが、その主題は一つです。その大きな主題は、キリストです。 旧約聖書の中には、キリストに関する多くの預言が書かれています。新約聖書には、キリストが救い主としてこの世に来られた話が書かれています。 旧約聖書では、キリストは来るべき方として預言され、新約聖書では、人としてのキリストのことが書かれています。キリストが死んで、埋葬され、復活し、再び天に上られることもはっきりと記されています。 さらに、地球で起こる新しいできことを示すことによって、完了します。イエス様は、千年の間地上を支配なさいます。それから「大きな白い御座の裁き」といわれる最後の審判を行ないます。その後、「新しい天と新しい地」が確立されます。聖書は、永遠のご計画を、私たちに啓示しているのです。黙示録21, 22章
W.聖書は、どのようにわかれているのでしょうか。
聖書は、天地の始まり(天地創造)からこの世の終わりまでを書いた世界の記録です。旧約聖書の一番初めの部分である創世記には、天地が創られたこと、人の心に罪が入りこんだこと、ノアの大洪水、そしてイスラエルの民の始まりが書かれています。 次の出エジプト記からエステル記の中では、キリストが誕生する400年までのイスラエルの歴史が書かれています。ヨブ記から雅歌には、すばらしい詩と知恵が書かれています。旧約聖書の最後にあたるイザヤ書からマラキ書までは、預言が書かれています。これらの巻では、イスラエルの現状と将来の摂理に関する神様からのことば、つまり預言が書かれているのです。
新約聖書は、まず、主なるイエス・キリストの生涯が書かれている四つの福音書で始まっています。使徒の働きは、キリスト教と教会が始まったときの様子が書かれています。偉大な使徒パウロの改宗と、キリストの福音との出会いについて、パウロの個人的な証を述べています。 ローマ人への手紙からユダの手紙までは、教会や個人宛の手紙です。キリスト教の偉大な真理や、クリスチャン生活に関する実践的な教えについての話が書かれています。黙示録は、将来の天と地と地獄で起こるべきすべてのできごとが書かれています。
X.最後に
聖書には、神様の御心(みこころ)、人間の状態、救いの道、罪人の運命、そして信者の幸せが書かれています。その教義は聖であり、その戒めには拘束力があります。書かれていることは真実であり、その決定は永遠に変わることがありません。賢明に生きるために聖書を読み、救われるためにイエス様を信じて、聖くあるために聖書の教えを実行すればよいのです。 聖書はあなたを導く光、あなたを支える糧、あなたを励ます慰めを持っています。聖書は、たとえれば旅人の地図、船長の羅針盤、兵士の剣、そしてクリスチャンの信条です。聖書の世界では、天国が回復され、天の門が開かれ、地獄の門も示されています。聖書の大主題はキリストであり、そのご計画は私たちのためにあり、その目的は神様の御栄光を表すものなのです。 聖書は、時間をかけてゆっくりと、祈りを込めて、何度も読めばよいのです。聖書は宝の山、光輝くパラダイス、喜びのあふれる川です。聖書を真剣に学べば答を見出すことができますが、その聖なる内容を軽んじるすべての人は、罰せられることになります。聖書は偉大なる本であり、人間への神様の啓示、つまり神様の本なのです。
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