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キリスト教の教えは、聖書の教えそのものです。
罪とは…
救いとは…
クリスチャンとは…
教会とは…
祈りとは…
そのような疑問に、1つ1つ聖書から答えています。
1歩踏み込んでキリスト教の教えについて知りたい人には、とても参考になると思います。
あなたに人生の意味の答が、もしかしたらここにあるかも知れません。
5 人間 |
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人間に関する真理を知りたいなら、聖書に戻らなければなりません。「真理とは、神様の言われたことです。」聖書では、人間の創造、性質、およびほかの被造物との関係について教えています。人間は創造の中心でした。地球の全てが、人間の支配下にあります。(創世記1:26) しかし、本当に人間を知るためには、人間の考えではなく、神様の見方に立たなけれればなりません。
T.人間の起原
人間が人の起原に関して興味を持つのは、ごく自然なことです。人はいつもそのことに興味を持ち続けています。いろいろな時代に、さまざまな学説が、多くの哲学者によって出されました。 もっとも新しい学説は、進化論です。進化論は、下等動物が人間の祖先だと主張します。昔の人間と現代の人間が違うという明らかな証拠は、何もありません。人間の血液が、世界中でたった一種類しかないということは、人間が進化によってできたのではないことを証明します。(使徒17:26) 動物の血液は、人間の命を生かすことができません。人間の血液を、動物の血液と混ぜ合わせることもできません。神様は、魚、鳥、獣、そして人間を、それぞれの種類にしたがって創造されたのです。(創世記1:24-25)
人間は、神様にかたどって造られたので、ほかの動物とは明らかに違います。「神は言われた。我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。」(創世記1:26-27)
神様は、最初の人間を地のちりから造られました。(創世記2:7) しかし、歴史をふり返ると、次に挙げる方法でも、人間を造られたのです。 A) 男と女による受胎によって。 B) エバのように母体を通してではなく。 C) アダムのように男と女による受胎によらないで。 D)キリストのように処女降誕で。 これは、神様が命に対して絶対的な権威を持っている、もう一つの証拠です。
神様は、被造物である人間について言われます。 「彼らは皆、わたしの名によって呼ばれる者。わたしの栄光のために創造し形づくり、完成した者。」(イザヤ43:7) そこで問題なのは、「人間が存在する最終目的は何か。」と言うことです。その答は明白です。「神様に栄光を帰するためです。」
U.人間の性質
人の死に臨んだ人は、人間には肉体と霊と魂のあることがはっきりと分かります。たった今まで息をして、生きていた人が、次の瞬間、息を引き取ります。それでも、その体はまだそこにあります。しかし、生命はなくなってしまい、死体だけが残っています。
聖書は、人間は三つのものから成っていると教えます。つまり、体と魂と霊の三つです。(1テサロニケ5:23) 霊と魂は、肉なる体と違って区別しにくいのですが、聖書は違いがあると言います。植物は、魂も霊もない体です。動物は、体と魂がありますが、霊はありません。 人間には、体と魂と霊と三つが備わっているのです。魂があるかどうかによって、生きているものと死んだものとの区別がつきます。霊があるかどうかによって、人間と動物の区別がつきます。人間は霊を持っているので、神様と交わりができるのです。
被造物の中で、人間だけが祈ります。祈りは、普遍的な行為です。未開の人から先進国の人々にいたるまで、人間は祈ります。なぜでしょうか。 バナナをもらった猿が、神様に感謝するのを見たことがありますか。また、人間だけが良心をもつ被造物です。ほかの猿のココナッツを盗んだり、ほかの猿と性交したからといって、罪悪感を持つ猿など見たことがありません。歴史的な書物の中には、悪を行い、自責の念にかられた人の話がたくさん出てきます。(ローマ1:18-32) 動物は、本能によって行動します。人間だけが、理性によって行動するのです。
罪を犯した人がクリスチャンになるとき、聖霊が心に宿ります。堕落したサタンによってアダムが罪を犯し、人間の心の中に、その罪の性質が受け継がれたのです。イエス様にある信仰を持ち、個人的な救い主としてイエス様を受け入れるなら、イエス様が聖霊を通して私達の人生を共に歩んでくださいます。その時点で、私達には「あなたがたの内におられるキリスト、栄光の希望」という新しい性質が備わるのです。(コロサイ1:27)
魂は、感情と情熱の基となるものです。霊という言葉には、物事を理解する能力と理性が含まれています。人間は神様に対してなすべき責任があり、その最大の義務は、神様が人間に望んでおられることが何であるかを知り、それを行うことです。クリスチャンの心の中には、肉と霊という二つの相反する思いがあり、一生葛藤し続けなければなりません。 (このことは、「救い」の項でさらに詳しく書かれて「ます。)
V.人間の自由意志
宇宙には、神様が造られたほかの被造物もいます。それは、天使あるいは霊というものです。彼らには、人間のような体や魂はありません。人よりも力があります。人間と同じく彼らも、神様に仕えるために造られましたが、自由意志を持っています。その中のある霊たちは、不従順の罪に陥ったのです。 イザヤ14:12-15
神様は、ご自分のみ心を機械的に行なうように、たくさんのロボットを造ることはなさいません。自由意志を持って神様に仕え、神様を愛する人を造る選択をされたのです。なぜそういうふうに望まれたのか、私達にはよく分かりませんが、歴史を通して見ると、そうされたことが明らかです。人は自らの意思で選択でき、神様は、その結果を人にゆだねたのです。
W.人の罪
人間をお造りになったとき、神様の御心を行うか行わないかを、人間の自由に任せました。当然神様は、まちがった道を選ぶ人がいることをご存知だったはずです。そして、結果はそうなりました。 「ルーシファ」と呼ばれ、悪魔として知られた悪名高い天使は、神様に反対する立場を取りました。最初の罪は、地上ではなく、天で犯されたのです。 この天使は、たちまち天から追い出されました。多くの天使が悪魔に加担したために、一緒に追い出されたのです。その時から、悪魔は、あらゆる方法で神様のご計画を邪魔しようとします。人が自由意志を持つ者として創造された時、悪魔は、人が神様に従わないように誘惑する計画をすぐに立てました。 神様は人に警告をしましたが、悪魔はあまりにも狡猾だったので、人を罪に引き込んだのです。この有名な話は、創世記3章に書いてあります。
神様は宇宙の善なる支配者ですから、ご自分の命令にわざと背く人を、み前におらせることはできません。だから、悪魔が神様のみ心にそむいたとき、天から追い出されたのです。人間も同様に追い出されました。そのために、アダムは神様の前から追い出されたのです。(創世記3:23-24)
罪が人類に入り込んだので、アダムの罪の性質は、すべての人に引き継がれています。 「このようなわけで、1人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。」(ローマ5:12) 私達は皆、罪を犯しやすい性質をもって生まれています。だから回りの誘惑にそそのかされ、負けてしまい、聖なる神様に対してひどい罪を犯してしまうのです。
X.人間の将来
人が神様の手によって創造され、不名誉な堕落をし、その結果、神様から断絶されたことは、聖書で述べられています。同様に、男も女も大人も子供も全ての人間が、いつかは自分の裁き主である神様のみ前に立つということが、はっきりと知らされています。 「それで、わたしたちは1人1人、自分のことについて神に申し述べることになるのです。」(ローマ14:12) 死というのは、自然に起こることです。全ての人間が避けることのできない終わりのときだということは、だれにでも分かります。しかし、聖書はこうも言います。 「また、人間にはただ死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっているように、」(へブル9:27) 神様は人を創造され、み言葉を通してご自分のみ心を啓示してくださいました。神様は、1人1人にその行いの責任を完全に持たせます。今の人生は、次の人生のための準備なのです。人間は、動物のようには死にません。人間の霊は、自分の創造主と裁き主であられる神様のもとへ行かなければなりません。
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