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イエス・キリストの生涯は、新約聖書の福音書に書かれてあります。
ここでは、それを短い123のストーリーに順番に記しています。
求道者、もしくはキリスト教に興味がある人が主イエスの生涯と教えに触れるには、きっとお役立ちいただけると思います。
1日1課でもいいですし、いくつかまとめて読んでもいいかも知れませんね。
第120課 聖霊降臨 |
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イエス様が天にお昇りになってから10日目の日曜日、弟子たちがエルサレムでイエス様のお母様と一緒に集まっていた時、聖霊が、イエス様のお約束通り、弟子たちとイエス様の母マリア様の上にお降りになりました。 聖書によりますと、その時突然、激しい風が吹いてくるような音がして、家中に響き渡りました。そして炎のような舌の形をしたものが現れ、それは分かれて彼らの1人ひとりの上にとどまりました。 その時現れた炎は神様の愛と力を表し、舌の形は話す能力を示しています。聖霊が弟子たちの心に入られたので、弟子たちは神様の力に満たされ、色々な国の言葉でイエス様の「み教え」を人々に宣べ伝え始めました。 その時、天からの音を聞いた大勢の人々が、弟子たちがいる家の前に集まって来ました。彼らは様々な国の出身でしたが、弟子たちの話を聞くと、それが自分の生まれた国の言葉で話されているので大変驚きました。 イエス様の弟子たちが酔っているのだという人々もいましたが、ペトロは立ち上がって皆の前で「今は朝の9時ですから、あなたがたが思っているように、この人々は酔っているのではありません」と言いました。 そして弟子たちは皆、聖霊を受けたということを述べて、旧約時代の預言者の言葉から語り始め、イエス様が預言された救い主であり、殺されてから復活なさったことを群集に説明しました。 ペトロの話を聞いた人々は感激して「我々はどうすればよいのでしょうか」と聞きました。ペトロは「悔い改めなさい。そして罪をゆるしていただくために、それぞれイエス・キリストの名によって、洗礼を受けなさい。そうすれば、賜物(たまもの)である聖霊を受けるでしょう」と答えました。 するとその場で3000人ほどの人々が洗礼を受けてキリスト信者になりました。 (使徒言行録2・1〜41)
※マルセリーノ注釈 この日は五旬節(ごじゅんせつ)という祭日の日でした。そして聖霊降臨日(ペンテコステ)と呼ばれるようになりました。キリスト教の1つの流れであるペンテコステ派は、この聖霊による異言の賜物を強く求めています。中には「異言を話せなければダメ」みたいな極端な思想をもっている人もいますが、決してそんなことはありません。また、無理やり、「洗礼の時には何でもいいから、わけわからない言葉を話しなさい」とさえ言う教会さえ、少ないですが存在するようです。 異言の賜物は、それはそれで素晴らしいのですが、真実を見極めるには非常に難しく(つまりトランス状態と区別がつき難い)、慎重にとらえるべきだと考えている人が多いようです。
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