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イエス・キリストの生涯は、新約聖書の福音書に書かれてあります。
ここでは、それを短い123のストーリーに順番に記しています。
求道者、もしくはキリスト教に興味がある人が主イエスの生涯と教えに触れるには、きっとお役立ちいただけると思います。
1日1課でもいいですし、いくつかまとめて読んでもいいかも知れませんね。
第118課 ガリラヤの山の上での出現 |
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復活なさってからイエス様はガリラヤで2回、弟子たちにお現れなさいました。第1回目はガリラヤ湖のそばでしたが、2回目に出現されたのは、ある山の上でした。 弟子たちがそこに集まっていた時、イエス様は彼らにお近づきになって「私は天においても地においても、全ての機能が与えられている。だからあなたたちは行って、すべての国の人々を弟子にしなさい。…父と子と聖霊の御名に入れる洗礼(バプテスマ)を彼らに授け、私があなたたちに命じたことを、すべて守るように教えなさい。私は世の終わりまで、いつもあなたたちとともにいるのである」とおっしゃいました。 このお言葉でイエス様は御自分がお与えになる永遠の救いはイスラエル人のためだけでなく、全ての人々のためであると明らかになさいました。ですから、全ての国の人々を弟子にして、彼らに洗礼を授けるように弟子たちに命じられたのです。 また、神様の御名によって洗礼を授けるという意味で「父と子と聖霊のみ名に入れる洗礼を彼らに授けなさい」とイエス様はおっしゃいました。 イエス様はいつもお祈りをなさる時「父よ」とおっしゃって、御自分が「神の子」であることを主張され、神殿で教えられた時には「私と父とは1つである」(ヨハネ10・30)とおっしゃいました。 また、最後の晩餐の時、御自分の姿が人の目には見えなくなっても弟子たちは神様の御助けを受けると予告なさり、「聖霊」が彼らの上にお降りになると述べられました。つまりイエス様は唯一の神においては3つの位格、父と子と聖霊があるとお教えになりました。 この教えを「三位一体」と言います。これは神様の無限な内的生命に関する教えですから、私たち人間の知恵ではその論理を充分に理解することは出来ませんが、イエス様の「み教え」ですからそれを心から信じるべきなのです。 (マタイ28・16〜20)
※マルセリーノ注釈 「三位一体」を理屈で理解するのは確かに難しいでしょう。異端やカルト団体では、人間の浅はかな知識でしか推し量ることができないため、あるいは、教祖を神と思わせたいがために「三位一体」を否定している場合が多いようです。しかしながら、キリスト教と関連があるがごとく思わせて活動している団体や個人も少なくありません。 これを読まれている方がキリスト教入門者や、興味を持ち始めた方であったなら、そのような団体・個人には充分ご注意なさってください。
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