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イエス・キリストの生涯は、新約聖書の福音書に書かれてあります。
ここでは、それを短い123のストーリーに順番に記しています。
求道者、もしくはキリスト教に興味がある人が主イエスの生涯と教えに触れるには、きっとお役立ちいただけると思います。
1日1課でもいいですし、いくつかまとめて読んでもいいかも知れませんね。
第116課 エルサレムでの出現 |
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復活なさったイエス様は日曜日の朝、御自分の墓の前でマグダラのマリアに、また、その午後エマオの村で2人の弟子たちの前にお姿を現されましたが、同じ日の夜にはエルサレムで弟子たちが集まっている家に御出現なさいました。 そこで弟子たちはイエス様の反対者を恐れてすべての戸に鍵をかけていましたが、突然イエス様が彼らの真ん中に現れ「あなたたちに平安があるように」とおっしゃいました。 弟子たちはイエス様を見て大変喜びましたが、イエス様は「父が私をお遣わしになったように、私もあなたたちを遣わす」と言われ、彼らに息を吹きかけられて「聖霊を受けなさい。誰の罪であれ、あなたたちが赦(ゆる)せば、その罪は赦され、赦さないでおくなら、赦されないままである」とおっしゃいました。 その時12人の弟子の1人、トマスはその場にいませんでした。あとでイエス様を見たことを弟子たちが彼に知らせましたが、トマスは「私はその手の釘を見、自分の指をその釘の跡に入れてみなければ決して信じない」と言いました。 ちょうど1週間あとの日曜日、同じ家で、トマスが他の弟子たちと一緒にいる時、やはりすべての戸に鍵がかかっていたにもかかわらず、イエス様はもう1度弟子たちの真ん中にお立ちになりました。 そして「あなたたちに平安があるように」と言われてから、御自分の手とわき腹の傷をお見せになって、トマスに「指をここに持ってきて、私の手を調べなさい。手を伸ばして、私のわき腹に入れなさい。信じない者でなく、信じる者になりなさい」とおっしゃいました。 トマスは驚いて「私の主、私に神」と言いましたが、イエス様は「あなたは私を見たから信じたのか。見ないで信じる者は幸いである」とおっしゃいました。 (ヨハネ20・19〜29)
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