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イエス・キリストの生涯は、新約聖書の福音書に書かれてあります。
ここでは、それを短い123のストーリーに順番に記しています。
求道者、もしくはキリスト教に興味がある人が主イエスの生涯と教えに触れるには、きっとお役立ちいただけると思います。
1日1課でもいいですし、いくつかまとめて読んでもいいかも知れませんね。
第115課 エマオでの出現 |
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イエス様が復活なさった日曜日の午後、2人の弟子は、イエス様の死を悲しみながら、エルサレムから11キロくらい離れたエマオという村へ向かって歩いていました。そこでイエス様は彼らに近づかれて一緒に歩き始めましたが、2人はイエス様であることに気が付きませんでした。 イエス様が「あなたがたが歩きながら語り合っているその話は何のことですか」とお尋ねになると、2人は「ナザレのイエスのことです。このかたは神とすべての民の前で、行いにも、言葉にも力のある預言者でした。それなのに、我々の大祭司や議員たちが、このかたを死刑にするために引き渡し、そして十字架に付けてしまったのです。私たちは、イスラエルを贖(あがな)ってくださるのは、このかただと望みをかけていました」と言いました。 するとイエス様は「ものわかりの悪い者、預言者たちが語ったすべての事を信じるには心の鈍い者たち、メシア(救い主)は、必ずこのような苦しみを受けてのち、その栄光に入るはずではなかったか」とおっしゃいました。そして旧約聖書に書かれている御自分の多くの預言を詳しく説明なさいました。 3人がエマオに近づいた時、イエス様は先に行かれるような御様子でしたが、2人は「一緒にお泊りください。もうそろそろ夕刻になりますし、日も早、傾いています」と言いました。 イエス様は彼らと一緒に家に入られて、食卓につかれました。パンを取り、賛美を捧げて、パンを手で分け、それを2人にお渡しになりました。 すると2人の目が開かれ、そのかたがイエス様だと気がついた時、それと同時に、イエス様はお姿を消されました。 2人は大喜びで「あのかたが道々私たちに話しかけ、また、聖書を解き明かされた時、私たちの心は内で燃えていたではないか」と互いに話し合いました。 (ルカ24・13〜35)
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