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イエス・キリストの生涯は、新約聖書の福音書に書かれてあります。
ここでは、それを短い123のストーリーに順番に記しています。
求道者、もしくはキリスト教に興味がある人が主イエスの生涯と教えに触れるには、きっとお役立ちいただけると思います。
1日1課でもいいですし、いくつかまとめて読んでもいいかも知れませんね。
第111課 イエスとピラト |
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夜中に行なわれた裁判でイスラエル人の大祭司たちはイエス様に死の宣告をしましたが、ローマ皇帝の代理者である総督ピラトの許可がなければ、それを執行することはできませんでした。ですから次の朝、彼らはイエス様をピラトの官邸へ連れて行きました。 前の晩の裁判でイエス様が御自分が神であることを述べられたため、大祭司たちは冒涜(ぼうとく)の罪でイエス様に死刑の宣告をくだしましたが、ローマ人であるピラトはそのような宗教的な問題に全く関心がありませんでした。そこで、彼らはイエス様が御自分が王であるとおっしゃっているので、ローマ皇帝の敵であると訴えたのです。 ピラトがイエス様に「お前がユダヤ人の王なのか」と尋ねると、イエス様は「私の国は、この世に属していない。…私は真理について証しをするために生まれ、また、そのためにこの世に来た」とお答えになりました。 イエス様は王であることを否定なさいませんが、政治的な王ではなく、霊的な王、真理の王であることを説明なさったのです。 イエス様の話を聞いたピラトはイエス様がローマ皇帝の敵ではないことを知り、イエス様を釈放したいと思いました。しかし、ピラトは大祭司たちを恐れていましたので、罰を与えるためにイエス様を兵士たちに渡しました。 兵士たちは長い間イエス様をむちで打ち、そして茨(いばら)で冠を作り、それをイエス様の頭にかぶせてイエス様をあざけり笑いました。 その後ピラトは、血だらけになったイエス様の姿を大祭司たちに見せましたが、彼らはその姿にあわれみを感じるどころか「十字架に付けろ、十字架に付けろ」と叫びました。 ピラトはますます大祭司たちがこわくなり、イエス様には罪がないとわかっていながら、十字架に付けさせるためにイエス様を大祭司たちに引き渡しました。 (ヨハネ18・28〜19・16)
※マルセリーノ注釈 この原文には書かれていませんでしたが、イエス様はガリラヤ人ということで、ピラトはイエス様を大祭司に引き渡す前にガリラヤのヘロデ王に一旦引渡しました。しかしヘロデはイエス様を侮辱はしたものの、再びピラトに送り返しました。 (ルカ23・6〜12) また、過越の祭りの時には、誰か1人を釈放する慣例になっているために、強盗のバラバとイエス様のどちらを釈放するかということも人々に聞きましたが、人々の声によってバラバの釈放を選択しました。 (ヨハネ18・39〜40)
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