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イエス・キリストの生涯は、新約聖書の福音書に書かれてあります。
ここでは、それを短い123のストーリーに順番に記しています。
求道者、もしくはキリスト教に興味がある人が主イエスの生涯と教えに触れるには、きっとお役立ちいただけると思います。
1日1課でもいいですし、いくつかまとめて読んでもいいかも知れませんね。
第110課 ペトロの否認 |
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イエス様がゲッセマネの園で大祭司カヤファの家へ連れて行かれた時、イエス様の弟子たちは皆逃げてしまいましたが、ペトロはカヤファの家で行なわれる裁判の成り行きを見届けるために、イエス様の後について行きました。 ペトロがカヤファの家の中庭に座っていた時、1人の下女が近寄ってきて「あなたもガリラヤ人のイエスと一緒にいましたね」と言いました。するとペトロは「何を言ってるのか、私にはわからない」と答えました。 それからしばらくして、もう1人の下女がペトロを指して人々に「この人はナザレ人のイエスと一緒にいました」と言いましたが、ペトロは「そんな人は知らない」と再び否定しました。 最後にある人々がペトロに近寄って「確かにお前も彼らの仲間だ」と言いました。しかしペトロは「誓ってそんな人は知らない」と答えました。 ちょうどその時、鶏が3度鳴きました。ペトロはイエス様が最後の晩餐の後で「鶏が鳴く前に、あなたは3度私を知らないと言うであろう」とおっしゃったのを思い出して、外に出て激しく泣きました。 イエス様が逮捕された時、2人の弟子がイエス様を裏切りました。イスカリオテのユダはお金と引き換えにイエス様を敵に渡し、ペトロは3回イエス様を拒みました。2人ともイエス様に対して大きな罪を犯しました。しかし2人のその後の行動には大きな違いがありました。 イエス様が死の受けられたことを知ったユダは絶望して自殺しました。しかしペトロはイエス様の憐れみを信頼して、心から自分の罪を悔い改めて、素晴らしい聖人になりました。 この2人の行動には大事な教訓が秘められています。もし罪を犯すようなことがっても、ユダのように絶望すれば救われず、永遠の苦しみの中をさまようことになりますが、ペトロのように悔い改めてイエス様の御助けを願うならば、どんなに深い罪を犯したとしても神様は私たちをゆるし、魂を救ってくださるのです。 (マタイ26・69〜75)
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