イエス様は「主の祈り」で、どんなことを祈るべきかを教えられましたが、そのあとで、どういう態度で祈るべきかを説明され、疑うことなく、信頼をもって祈るようにお勧めになりました。
「求めなさい。そうすれば、与えられるであろう。捜しなさい。そうすれば、見つけるであろう。 たたきなさい。そうすれば、開かれるであろう。 だれでも、求める者は受け、捜す者は見つけ、たたく者は開けてもらえるのである。 あなたがたのうちで、自分の子供がパンを求めているのに、石を与えるものがいるであろうか。 また、魚を求めているのに、へびを与える者がいるであろうか。 あなたがたは悪い者であっても、自分の子供たちに良い物を与えることを知っている。 まして、天におられるあなたがたの父が、自分に求める者に、良い物をくださらないことがあるだろうか」
「主の祈り」を教えられた時にイエス様は、お父様として神様に祈るようにお勧めになりましたが、先の言葉のように、神様は慈悲深いお父様として、必ず私たちの一つ一つの祈りにお応えになり、良い物をくださると述べられました。 もちろんそうだからといって、祈ればすべてのことが私たちの思うようになるとは限りません。 場合によっては、私たちの祈ることが私たちの本当の幸せのためにならないからです。 そういう時に神様は、私たちが望んでいるものではなく、もっとよい恵みをくださいます。 大事なことは、どんな祈りでも無駄にならないということです。 一つ一つの祈りによって私たちは神様の恵みを受け、より一層よい人になり、そして私たちの生活は一層幸せになります。 (マタイ7・7〜11)
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