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イエス・キリストの生涯は、新約聖書の福音書に書かれてあります。
ここでは、それを短い123のストーリーに順番に記しています。
求道者、もしくはキリスト教に興味がある人が主イエスの生涯と教えに触れるには、きっとお役立ちいただけると思います。
1日1課でもいいですし、いくつかまとめて読んでもいいかも知れませんね。
第42課 汝、姦淫するなかれ |
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イエス様は、ひき続いてもう一つの例として、十戒の6番目の戒め「汝、姦淫するなかれ」の本当の意味を説明なさいました。 「『姦通してはならない』と命じられたのを、あなたがたは聞いている。しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも情欲を抱いて女を見る者は、その女に対し心の中ですでに姦通の罪を犯したことになる」とおっしゃいました。 5番目の戒めについてお話しになった時に、その戒めによって殺人だけでなく、心の中のすべての憎しみも禁じられていると、イエス様は説明なさいましたが、同じように6番目の戒めによって、男女の間の行いによる不潔な関係だけでなく、心の中の不潔な考えも皆禁じられていると教えられました。 次にイエス様は、性道徳に関係のある離婚の問題についてお話しになりました。 「『妻を離縁する者は、妻に離縁状を渡せ』と命じられている。しかし、わたしはあなたがたに言う。非合法な結婚の場合は別だが、それ以外の理由で妻を離縁する者は皆、姦通の罪を犯す機会を妻に与えることになる。また離縁された女をめとる者も、姦通の罪を犯すことになる」とおっしゃったのです。 また、別の時にイエス様は、離婚はどうして許されないかを説明なさいました。 「神は天地創造の初めから、『人間を男と女に造られた』。『それゆえ、人は父母を離れ、妻と結ばれ、二人は一体となるのである』・・・それゆえ、神が合わせたものを、人間が離してはならない」とおっしゃったのであります。 (マタイ5・27〜32 マルコ10・6〜9)
※マルセリーノ注釈 離婚は近年非常に増えています。結婚しているよりも、離婚した方が遥かに幸せな場合も現実としてあります。 もしかしたらその結婚は神様の導きだったはなく、人間の間違った判断によるものである可能性も十分あります。 離婚に関しては、カトリックが最も厳格な考えを持っています。 「恋は盲目」とよく言いますが、勢いで結婚するのではなく、神様によって導かれ祝福された結婚でありますように、祈りの中で求めていかなければならないように思います。
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