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イエス・キリストの生涯は、新約聖書の福音書に書かれてあります。
ここでは、それを短い123のストーリーに順番に記しています。
求道者、もしくはキリスト教に興味がある人が主イエスの生涯と教えに触れるには、きっとお役立ちいただけると思います。
1日1課でもいいですし、いくつかまとめて読んでもいいかも知れませんね。
第11課 カナでの結婚式 |
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イエス様は悪魔の誘惑を退けられてからナザレという町へお戻りになりましたが、その時ナザレの近くのカナという村で、母であるマリア様の知り合いの方の結婚式が行われ、マリア様もイエス様も招待されました。 披露宴の途中でぶどう酒が足りなくなりましたので、マリア様は花嫁さんと花婿さんが可愛想だと思って、奇跡的に彼らを助けるように頼むつもりで、イエス様に「ぶどう酒がありません」と言いました。 イエス様はまだ奇跡を行われるつもりはありませんでしたから「わたしの時はまだ来ていません」とお答えになって、おことわりになったのです。 しかしマリア様は納得せずに、イエス様を指して、「何でもこの人の言うとおりにしてください」と近くで給仕している人たちに言いました。 お母さんがこれだけ熱心に望んでいるならばなんとかしないといけないと思われたイエス様は、近くの水がめを指して給仕たちに「水がめに、水をいっぱい入れなさい」とおっしゃいました。給仕たちはイエス様のおっしゃった通りにしました。 そして水がめを運んでいるうちに、その中の水はおいしいぶどう酒に変わってしまいました。 これはイエス様が初めて行われた奇跡でしたが、これによってイエス様の神様のおん独り子としての力がわかるのであります。 またそれと同時にマリア様のイエス様に対する力もわかります。イエス様が奇跡を行われるつもりがない時にでもマリア様に頼まれると、イエス様はそれをお行いになったからです。 カトリック信者はイエス様とマリア様の間のお母さんと子供としての特別な関係を考え、祈りの時に神様の恵みをお願いすると同時に、マリア様のおん取り次ぎも頼むのであります。 (ヨハネ 2・1〜12)
※マルセリーノ注釈 マリアの取り次ぎに関しては教派によって解釈が違いますが、ここではご協力いただいたハヤット神父様に敬意を表して、カトリックの考えをそのまま掲載いたします。
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