教会の牧師なら、誰でもこの真理を知っています。二人の命が一つに結び合うとき、初めのうちは、必ず生活のぶつかり合いが起こります。すべての人は、違った生い立ち、家族、感情、個性を持っています。 たくさんの調整があるので、理解し合う心を持たなければなりません。男性と女性の考え方に大きな違いがあることに気づき始めます。
女性にとって大切なものが、男性には重要でないときがあり、男性にとって重要なものが、女性には大切でないことがあります。しばらく交際していると、二人の習慣や好みや趣味が、思った以上に違うことがわかります。 もし二人が全く同じなら、結婚生活はすぐに飽きてしまうでしょう。神様は、私たちを異なる者としてお造りになリました。成長するに従って、お互いを認め合うことできます。
こうした違いを調整する最もよい方法は、次の3つの言葉を何度も使うことです。
「ごめんなさい。許して。愛しているよ。」 これを補足する聖句は、「あなたは、神はおひとりだと信じています。りっぱなことです。ですが、悪霊どももそう信じて、身震いしています。」(ヤコブの手紙2:19)
あまりにも違いがあることがわかると、がっかりし、この結婚は大間違いだったとすぐ結論づけます。もう一度考えてください。結婚生活は、お互いに対する犠牲と調整が必要です。 結婚前の楽しかったことや熱烈な恋愛は、すぐ消え去ります。もう一度言いますが、神様のご計画は、結婚で二人の命が一つになり、そのときからお互いが何をするにも助け合うということなのです。 「人は、一緒に住んでみなければわからないし、お互いを知るということが結婚生活の喜びなのです。」と言う人もいます。
結婚がどのように作用するかを考えてみましょう。あなたは、二つの川が合流するところに立ったことがありますか。一方の川は泥流で、もう一方の川は清流としましょう。二つの流れが合流するところには、はっきりと分離帯ができます。泥流と清流は、はっきり区別されるのです。その合流を少し下ってみると、もうその区別がつかなくなってることに驚くでしょう。二つの流れが、完全に合流したからです。それが、二人の命が結婚によって一つになるということです。
一つになって完全に融合するのは、決して強制的であってはいけません。序々に、静かに、少しずつ溶け合った二つの命は、何の障害もなかったカップルよりもよいものとなり、より高貴になり、さらに強く結ばれるでしょう。二人は道徳的にも立派になります。主イエス・キリストにあって結び合わされた命は、落ち着いた平和な流れのように、すばらしい関係になっていくでしょう。
いらいらや自己中心の中にいると、悪魔が二人の関係を壊そうとします。クリスチャン夫婦は、「離婚」について考えたり、話し合わない合意が必要です。離婚は、何の解決にもなりません。離婚すればすべての問題が解決すると考えるのは、悪魔の誘惑です。二人が神様のみ旨を探し求め、神様が一緒にしたのならば、神様の恵みと導きと忍耐によって、離婚を乗り越えることができるはずです。
将来、過去を振り返るとき、結婚における本当の愛の一致を理解して、そのすばらしい関係を喜ぶことでしょう。必要なのは、ほんの少しの知恵ある忍耐です。お互いがお互いに対して忍耐強く、かつ思慮深ければ、調整は簡単にできるし、神様のみ心の中心にいるなら、結婚はこの地上における最上の人間関係であることがわかるでしょう。
|