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これはクリスチャンでなくとも興味がある問題だと思います。
2004年度の日本の離婚件数は27万6000組にものぼり、また、子供に愛を持てずに虐待をしてしまうという悲しい出来事も年々増加しています。
夫婦が、親子が、兄弟が、また家族が素晴らしいものとなるヒントが、ここには沢山あると思います。
2−9:主にある結婚生活 |
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こういう考えも、心に留めておきましょう。 妻に対して優しい夫がいます。夫は、生活に必要なものをすべて妻に与えます。思慮深く、寛大です。よく相談し合い、親切です。ところが、霊的な問題になるといやがって、いっしょに礼拝を守りません。妻の命の中で最も奥深く、かつ神聖なる部分については口を閉ざします。 だから、妻は一人で教会へ行きます。一人で聖餐式を受け、一人で膝をかがめて祈ります。魂に関する希望や困難や抱負を、一人で胸に秘めるのです。 世界中の誰よりも、夫がイエス・キリストを救い主と信じてくれるように、ただ一人祈ります。夫は、これらすべてにおいて、妻の思いを共有しません。 「また、家が内輪もめをしたら、家は立ち行きません。」(マルコの福音書3:25)
夫は、結婚式での誓いを否定します。 神様は、体と魂と精神を持つ者として私たちを造られました。この神聖な精神的関係を否定することは、夫婦関係の最も重要な部分に対して目をつぶることになります。 このことは、神様のご計画から外れた結婚をした妻に対しても言うことができます。いつまでも変わることなく主に仕える結婚生活は、神様の恵みによってのみ支えられ、夫を救いに導いてほしいと願うのです。 「同じように、妻たちよ。自分の夫に服従しなさい。たとい、みことばに従わない夫であっても、妻の無言のふるまいによって、神のものとされるようになるためです。」(ペテロの手紙第一 3:1)
もし夫婦が、魂と精神において一体でなければ、結婚は神様のみ心にかなっていません。 夫だけが一方的にそうするなら、完全なまちがいで、非難されるべきであり、また神様はその夫を裁かれます。そんな夫の態度は、クリスチャンの妻や家族に対しても大きな間違いです。その結果は裁きの日に明らかにされるでしょう。
結婚では、心と心が永遠に一つに結ばれます。一つに結ばれてこの地上で過ごす年月は、死の陰の谷を越えて、永遠に続く結びつきを準備する期間でもあります。 ですから、結婚生活が破れると、天には大いなる悲しみがあり、神様は祝福したくてもできません。神様は、私たちの涙をすべて拭い去ってくださいますが、残念な思いは残るでしょう。 妻や子どもたちと正しい関係を築かず、自分の人生を神様にささげていない夫を、神様が助けてくださるように私たちは祈るだけです。
もしあなたと神様が正しい関係でなく、今すぐにでもそれを修復したいと願うなら、それができるのです。 友人が家のドアをノックすれば、ドアを開けて招き入れるでしょう。イエス様は、あなたの心のドアをノックしておられます。 しかし、そのドアを開けて招き入れるのは、あなた自身なのです。イエス様は、あなたに招かれて初めて、あなたの心に入ってこられます。それから、あなたの心をきれいにされ、そこをあなたとイエス様の日々の交わりの場とされます。
「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」(ヨハネの黙示3:20)
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